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Entire text of the pamplet, Japanese

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字幕: 人権宣言

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敗戰のいたでを受けた日本が、これから平和な文化の國として新しく出直そうとするとき、私たちの行く先をはっきり示す新しい憲法が制定されました。

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新憲法は、永久の平和をねがい、今後は絶對に戰爭をしないこと、民主主義の政治を行うこと、また、國民の基本的人権を尊重すること、とゆう三つの考えがもととなっております。

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ここではそれらのうち特に基本的人権とゆうことについて考えてみましょう。

新憲法には基本的人権は人類の多年にわたる自由獲得の成果であって。。。。。それは過去幾多の試錬にたえて夾たものである。。。。。とゆうことを述べています。それでは、われわれ人類は自由獲得のために、どんなに努力をし、又どんな試錬にたえて夾たでしょうか。

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ずうっと大昔原始末開の時代には、何でも力の強いものや、不思議なものを神としてあがめていました。神は絶對の權力があるのでお互同志の間では勝手にふるまうものなどなくて、その生活はまことに自由なものでありました。

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それからずっと年をへだてて今から 五千年ほど前エジプトにピラミッドが造られました。それは王様のお墓ですがその頃のエジプトは、王様が大へんな力をもっていて、人民はどんなことでもだまって王様の命令をきかねばならなかったのです。その人民たちの下には奴隷とゆうものがありました。こんなすばらしいピラミッドも 王様やその家夾たちが人民や奴隷を牛馬のようにこきつかって造らせたものです。

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國を治める王様の下に領主たちがいて、それぞれ領地を分けてもらい、領主は家夾をかかえ百姓たちに領地を耕させる。。。。。。。そんな制度を封建制度といって、今から六百年くらい前までのヨーロッパにはそうした制度が行われていました。領主や家夾がいばっているのに引かえて百姓たちは働けるだけ働かされながらひどい貧乏な生活しかできませんでした。

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封建制度の時代は領主が勢力を占め王の威令は行われませんでした。ところが領主たちがしばしば爭い合ったことや、又次第にブルジョア階級が頭をもたげてきたことなどが原因となって、やがて領主の勢力はおとろえてきました。そしてついに再び王權が回復するようになりました。

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そうなると王様は權力をふるいはじめます。國民は人間らしい扱いなど受けられるよう筈もありません。どんなに多くの人民が虫のように殺されたり無実の罪に苦しめられたか知れません。

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王様は大へんぜいたくな暮らしをして その上まだ自分の勢力を伸ばすために外國と戰爭ばかりしていました。そのため大そう金がかかりました。その金はどこから出したのでしょうか? みんな人民から税金として取りたてたのですから人民はずいぶん苦しい思いをしたわけです。

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なかでも十八世紀のフランスの王様はとりわけおごりをきわめたものでありました。この世の文化も快楽もすべて王様と貴族だけのものでありました。もちろんその費用はことごとく人民の汗と血汐の結晶でありました。こんな不合理が太陽のもとに許されてよいでしょうか? 。。。。。。人民たちはもうがまんしきれなくなりました。

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そこで人民は自分たちの利益をまもるためにじぶんたちの政治組織即ち「國民議會」を作りました。これに驚いたルイ十六世は軍隊の力で國民議會をだん圧しようとしましたが、それはかえって火に油をそ、ぐ結果となりついに怒った市民たちはバスチーユの監獄を破壊して革命の火の手をあげました。一七八九年七月のことです。

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革命は成功して國民議會は「人権宣言」を發布し、人民の基本的人権を明らかにしました。それから二年後これをもとにしてフランス憲法が制定されました。

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このかがやかしいフランス革命をなしとげた力は十五世紀のころから次々とあらわれた学問や藝術の天才たちのおかげであります。それはどんな人々だったでしょうか? イタリーにはレオナルド・ダ・ヴインチ、ラファエルミケランジェロなどが出て、絵画・彫刻・建築などの立派な作品をのこしました。その人々は人間の何ものからもおさえられないほんとうの姿がどんなに美しく 尊いものであるかを人民に教えました。

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ドイツのマルチン・ルーテルは、キリスト教の教えがまるで専制君主のようなローマ教會の勝手なきまりでしばられているのに反抗して、自由に考え自由に信じる新しい信仰の道をきりひらきました。

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十七世紀になると、ガリレオとかニュートンなどのえらい学者が出ました。

それまではキリスト教のローマ法王のためにものごとのほんとうのすじみちを深く考えてみることは、神の心にさからうこととされていましたが、ニュートンやガリレオは、それをおしきって物理学や天文学の上に大きな發見や、すぐれた研究をのこしました。そのおかげで文明が急にすすみました。

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こうゆう人々の力で、人間はだれかれの区別なく尊いものである。国家は人民の幸福と安全をおかしてはならないとゆうことがわかってきたのです。そうして フランス革命によって 人々はやっとその理想を実現することができたのです。

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このような基本的人権の考えは、イギリス本国の圧迫に苦しめられていたアメリカの殖民地の人々にも傳って一七七六年フランス革命より一足先に有名な独立宣言を発し、それから後も強国からおさえられていたギリシヤ・ベルギーなどの小さい国が次々と独立しました。

そうして世界の国々にこうした自由なあかるい民主主義の政治が行われるようになりました。こうした世界の大勢の中で、日本はいったい何をしていたのでしょうか?

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徳川家光が鎖国のふれを出して以来、日本はまるで外国の様子も知らず三百年の永い間ねむりつづけてきました。さむらいは百姓町人に對しては『斬りすてごめん』で彼等に人権などとゆうことはとんでもないことでありました。一八五三年浦賀に来た黒船の砲声に突然永い眠りをさまされた時日本は諸外国の進歩ぶりにただおどろきの目をみはるばかりでありました。

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鎖国から開国へ。。。。。。世界の風はどっと日本へ吹きこんできました。国民は初めて自分たちが将軍や大名やさむらいから思うままにふみにじられていることがたまらなくなり、徳川幕府を倒して封建制度を打ちこわしました。それが明治維新であります。

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その頃の人々は何でも外国に見ならって 早く日本のおくれた文明をとりもどしたいと思いました。そのためには早く議会を開いてほしい 憲法も定めてもらいたいとゆう強い申出でが しかも度々ありました。こうして明治二十二年ついに明治憲法は制定せられたのです。それには政治をとる人が国民の財産を勝手にとりあげてはならない。わけもなく牢屋入れてはいけないとゆうようなこと、即ち国民の自由や権利をおかしてはいけないとゆうことが定めてあります。

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しかし この憲法は外国の憲法とは少しちがっていました。とゆうのは これを作った人たちが人民ではなくて政府の人やそのころの実権をにぎっていた少数の人たちであったために人民の基本的人権をまもる点についてなまぬるいところがあったのです。

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明治の憲法に定めた自由や権利はすべての人間が生まれながらに天から授かったものとゆう考え方でなく、法律の範囲でみとめられたもので、法律でなら この自由や権利をどんなにおさえてもよいとゆうふうに考えられてしまいました。それは憲法の定め方がなまぬるかったとゆうこともありますが、一つには国民に基本的人権がどんなに尊いものであるかとゆうことが まだはっきりわかっていなかったからであります。

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この欠かんは やがて国民の上に大きな禍をまねきました。満州事変以来 軍人が政治をとるようになると、それを悪用して法律でどしどし人権をおさえていきました。

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軍人たち はおのれの野望をなしとげるため、国民の人権を徹底的に無視しました。国民の考えや意見は自由にいわせないようにし、また政府の政策に反対するものはどしどしたい捕するといった工合についに太平洋戦争を初めてしまいました。そのため国民は敗戦とゆうみじめな苦しみをなめさせられることになったのです。国民はふたたびこうしたことを繰り返してはならないと考え 今までの考え方に 根本的な反省が加えられました。そうして新しい憲法制定のはこびとなったのです。

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新憲法には私たちは勿論 私たちの子孫至るまで日本国民であるかぎり誰でもこの基本的人権はおかされることがないと はっきり定められました。

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もし これをおさえるような法律が出来ても 最高裁判所で裁判して、その法律を無効にすることが出来るのです。

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しかしこの基本的人権は大ぜいの人々のためになるように使わなければなりません。

自分の意見を発表することは 基本的人権の一つでありますが 人々のためにならないような意見を本に書いたりしたりしてはなりません。自由とゆうことは人の迷惑を考えず何をしても自分さえよければよいとゆうことではありません。

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この憲法に定められた基本的人権とゆうのは

  • 拷問されたり むごたらしい刑罰を受けることはない。
  • 誰でも好きな学問をすることが出来る。
  • 自分の財産は 不当にとられることはない。
  • 男女はすべて同権である。

とゆうようなことであります。

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ヨーロッパの国々ではこの基本的人権を得るために 何百年にもわたって文字通り血みどろなたたかいをつづけてきました。それを思うと 日本国民の努力はまるでくらべものにならないくらいです。

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いま 私たちは敗戦とゆう最も苦しい目にあいました。私たちの家は焼かれ、たくさんの同胞が死んでいきました。その結果として、授けられた尊いものであります。こんどこそ、どんなことがあっても私たち日本国民の力で絶対におかされないように まもっていかなければなりません。

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終字幕

Jinken sengen 「人権宣言」, Editorial Production: Nihon Gentō Kabushiki Kaisha,日本幻燈株式会社, Illustration: Kondō, Hidezō, 近藤日出造., File 54-A-5-1 ~ 54-A-5-15, Box 4 in Alfred Rodman Hussey papers (1944-1998, bulk 1945-1948)